兵庫|PEOPLE
山内庸資|イラストレーター
イラストレーターだからって机の前にじっとしてる必要はない。
余分なものを削ぎ落としたシンプルな線で、やさしさのある世界を描き出す山内庸資。イラストレーターにして、いくつかのプロジェクトではディレクションを手がけたり、町のイベントなどにもこまめに顔を出す、言ってみれば、なかなか机の前にじっとしていないタイプだ。でも、それって実は、街に根ざしたこれからのイラストレーター像なんじゃないかな。
イラストには○と□をつなぐ力がある
まずは、山内庸資さんの作品のことを聞いてみたい。神戸に留まらず、さまざまな場所でイラストレーションの仕事を受けている山内さんだが、実は、芸大時代は油画を専攻。大学卒業後もしばらくは油絵を描き続けていたんだそう。
油絵と同時にドローイングも描いて、両方を展示したりしていたんですけど、だんだんドローイングの方で声をかけてもらったり、仕事につながることが増えてきたんです。
―たしかに仕事として考えれば、油絵はなかなか依頼しづらいです。とはいえ、山内さんはドローイングが仕事になっていくことに特に抵抗なく?
僕にとってはドローイングも、油絵で描いてた世界をモノクロの線で描いてみたってだけなので、自分としてはそんなに違いはなくて。当時、ドローイングが流行してたのもあるかもしれないけど、仕事運にも恵まれて。営業をすることもなく、順調に仕事をもらえる流れになりました。
―イラストレーションについて山内さんはどう考えてますか。
イラストレーターの役割って人と人とか、人とコトをつなげることができる職能だなって感じています。作家性ということに関しては、僕は、油絵を描いてた頃に散々考えてきたので、そこはもうそんなに関心がなくて。それよりも自分の暮らしや生活、地域に直結するものとしてイラストを考えてみたいという気持ちが強いかな。
紙の上の線の話よりも、作品を取り巻く状況の話が自然と口をついて出る山内さん。その背景には、各地でのプロジェクトに携わってきた山内さんの経験がある。
特に大きな体験だったと山内さんが話すのは、小豆島の《Umaki Camp》(*ドットアーキテクツが瀬戸内国際芸術祭2013の出展作品として建てたスペース)に「似顔絵屋」として参加し、島内をモバイルプリンター付きの移動式屋台で巡って、出会った人の似顔絵をどんどん描いたこと。
単に似顔絵を描くだけじゃなく、物々交換みたいな感じで、僕がイラストを描く代わりに、たとえば水や野菜を振る舞ってもらったりというやり方をとったので、街の人たちともどんどん仲良くなりました。そのときの交流はいまでもゆるく続いてます。
―山内さんは、鳥取や徳島でもイベントや展示をされてますよね。
小豆島での出会いがきっかけになってたり、いちど仕事を依頼してもらったことから行き来するようになったりとか。仕事だからってその場かぎりの関係性で仕事だけやって終えるのではなくて、人でも土地でもいいなと思ったら、その後もつきあっていくようなことが大事やなと思います。
―持続的に関係を続けていくこと。
僕の場合、はじめは面白そうな匂いだけ、本能的に感じるところから始まって、「なるほど、こういうことやったのか」って後からその蓄積に気づくことも多いので、計算してるわけじゃないんですけどね。
―友達ができる過程にも似てますね。
そうかもしれない。単純に仕事をこなしているというよりは、イラストレーションって、僕にとっても入り口なんだなという気持ちがある。イラストの仕事を通して僕自身、いろんなことを学んでます。
―イラストってただ気の利いた線だと思ってしまえばそれだけにすぎないけど、そこから始まったり広がったりすることが実はたくさんある。
そうなんです。ただ、妻には背負いすぎだとも言われていて、40代で子どももいるわけなので、バランスをとって、うまく仕事にもつなげていかないと(笑)。
ユニークな人が集まる塩屋ライフ
神戸との関わりが長い山内庸資さんに、神戸の街といま暮らしている塩屋のことについても聞いてみたい。
山内さんは、神戸市西区(三宮や北野といった神戸中心街からすれば、山の向こう側)で5~20歳頃まで暮らし、大学卒業後は、都心部にほど近い灘(なだ)で彼女とふたり暮らし(曰く「彼女の家に転がりこんだ」)。結婚を機に長田(ながた)へ移り、子どもが生まれたタイミングで塩屋(しおや)へ。
灘からは、長田、塩屋と、神戸の海側を西へ、西へと移り住んでいることになる。
いまの僕の興味は鳥取や小豆島など、どんどん西へ向いているのかもしれない(笑)。神戸で暮らしてきた街に共通するのは、どこも観光地じゃなくて住宅地ですね。だから、神戸外のひとに街の特徴を説明するのは難しいんだけど…。
―学校が多くて商店街も元気な灘、多国籍な人が多く暮らす長田、そして、海が見える坂の街・塩屋と、住宅地とはいえそれぞれに個性が立った、神戸のなかでも一度は住んでみたい場所ばかりです。
僕は住むことに興味が強いんだと思います。家を見ながらだらだらと歩くのも好きで、自分がもしもここに住むとしたらって仮定しながら歩くの、めっちゃ楽しくないですか?
―家見て歩き散歩、よいでしょうね。
これは別に僕が仕掛けてるわけではないけど、塩屋で最近行われている面白い企画があって、それは参加者みんなで10軒くらいの人の家を訪ねてまわるんです。普通の個人宅を。
―観光ツアーのようにお宅訪問!
僕が塩屋に住むことになったのも、塩屋で展覧会を開いたことをきっかけに、塩屋界隈では“R不動産”ならぬ“アーリ不動産”と呼ばれている森本アリさんと知り合って、「こんないい空き家があるよ」って紹介してもらったからなんですけど、アリさんの他にも、いろんな人から塩屋にいい家があるよって家を紹介されてました。
―築100年超の旧グッゲンハイム邸でさまざまな企画を続けている管理人でミュージシャンの森本アリさんを中心に、塩屋には人を引きつける磁場が生まれてるようですね。
海と山が近くて、環境がとてもいいですから。僕も展覧会で一度会っただけだった画家の阿部海太くんから連絡をもらって、いっしょに塩屋を歩いて案内したら、それで実際に海太くんが東京から塩屋に移ってくるということがありました。
―ミュージシャン、画家、建築家、編集者、ライター、カメラマン…とにかくいろんな職能の人が塩屋に増え続けています。
小さい街なのに周りにいろいろと企画できる人がたくさん住んでいて、単純に毎日楽しいです。
―山内さんも塩屋での仕事、なにかやっていますか。
塩屋商店会のロゴを今つくってるところです。他にも、塩屋で復活した盆踊りの絵を描いたり、“塩屋フィッシングクラブ”って釣り好きおじさんの集まりがあるんですけど、そのグッズ担当として絵を描いてます。これはギャラがイカで(笑)。
―いいですね~。
律儀すぎて夜の23時ごろにフィッシングクラブのメンバーから電話かかってくるんですけどね。「山内さん、イカ釣れましたよ。今から持ってっていいですか?」って。
―塩屋暮らし、ほんと楽しそうだ。
正直なところ、仕事はどこででもできると思ってます。でも、だからこそ東京や大阪じゃなく、僕がずっと神戸にいる理由もそこにあって。自分がいいなと思える好きな地域に暮らして、仕事をし続けていきたいですね。
山内庸資|イラストレーター
1978年生まれ。イラストレーションを中心に、ドローイングやペインティング、デザインなどを手がける。神戸を拠点に、台湾、香港、韓国などでも活動中。この春、立ち上がる神戸市のプロジェクト「種はおよぐ」ではディレクションを担当。
→https://yosuke-yamauchi.org